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ノンデュアリティ(非二元)ブログ

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「なる」ではなく「ある」、 平和、幸福、愛

努力の末に得た平和なら、それは「平和」ではない。
努力の末に得た幸福なら、それは「幸福」ではない。
努力の末に得た愛なら、それは「愛」ではない。
人が、平和、幸福、愛を求めるのは、本当の自己を見落としているから。

平和、幸福、愛は求めて得られるようなものでなく、自己そのもの。
その自己が、自己ではないものを自己と思い込み、平和、幸福、愛を探し求めている。
この茶番劇の中に、平和、幸福、愛はない。
劇の中で見つかる平和、幸福、愛は、幻想であり、つかんだ途端に消えてしまう。

本当の自己だけが自己を知っている。
平和、幸福、愛を知っている。
その平和、幸福、愛は、消えるようなものではない。
それは茶番劇が続こうと終わろうと、在り続けている。

お知らせ
昨日、東京に戻ったので、今日から東京での非二元のセッションを再開しました。

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ガス管工事の音の非二元性

ここ数日、早朝からガス管の工事がはじまり、ガタガタと道路を掘りおこす音で目が覚め、寝不足の日が続いている。
「ガタガタ」というけたたましい音は外で発生していて、それによって、私は悩まされている。
外部の出来事は、私に対して起こっている。
なんの疑いもなく、そう思っていた頃は、問題が尽きなかった。

毎日、私に対して、予期せぬことが起こり続けるのだから。

しかし、非二元(ノンデュアリティ)のメッセージを聞いてから、私に対して起こっているというのは、思考によるつくり話であることが明確にわかるようになった。

発生している「音」と、その音を聞いている「私」が、別々には存在していないこと。
その瞬間、音を経験しているなら、音が私であることがわかるようになった。

そこには、音に苦しめられている独立した「私」もいなければ、私の外にある独立した「音」もなく、ただ、音が音としてあるだけ。

音と私は一つ。
でも、音が消えても、私が消えることはない。
私は音そのものではないが、音と距離を置いて存在しているものでもない。

この親密さこそが愛てあり、その愛だけが絶えずあることを、工事の音も含め、あらゆる音が指し示してくれている。

お知らせ

経験の非二元性を確かめてみたい方は、個人セッションにお申し込みください。

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非二元(ノンデュアリティ)は宗教じゃない

「私たちは一人の個人じゃない。みんな繋がっていて、あるのは愛だけ」
そんな非二元的な言葉を聞いて、それを強く信じ込もうとしているなら、それは信念の強化=「信仰」であり、非二元(ノンデュアリティ)の確認ではない。

非二元の気づきは、誰もが直接的に確認できるものであり、信じなくては存在が揺らぐようなものではない。
非二元は、宗教ではないからだ。
もし、非二元を信じようとしてやっているなら、それはたちまち「非二元教」という新興宗教になってしまう。

救いを求めて、非二元を頭(思考)で理解しようとしている限り、何年たっても解放は起きない。
なぜなら、「私は一人の個人だ」という思い込みを信じたまま、その思考体系の中に、「個人の私はいない」という相容れようのない非二元のメッセージを取り込もうとしているからだ。

お知らせ
自分と他人、自分と世界の分離がないことを直接確かめてみたい方は、非二元の個人セッションをお受けください。

カテゴリー: 非二元・ノンデュアリティ

あるがままの深淵さ、神秘さ

エゴ意識は、「在るがまま」に抵抗し続ける。起こることと自分とを切り離し、自分の思い通りに、出来事や状況をコントロールできると思い込んでいる。

そうすることが人生だと思い込んでいる。
しかし、それはエゴ意識の幻想に過ぎない。
どれだけあるがままに抵抗しようと、エゴ意識の幻想は早かれ遅かれ打ち砕かれる。

その幻想が打ち砕かれ、消え去った時、あるがままを直視できるようになる。
エゴ意識は、あるがままの深淵さ、神秘さをありのままに見ることができない。

なぜなら、エゴとは、あるがままを否定する反抗だから。

その反抗が消えた時、あるがままがあるがままに動けるようになる。

あらゆるものに宿る神聖さに気づけるようになる。

追伸

来週末、3年ぶりに宇宙の法則について語ります。エゴと戦うことなく、あるがままの安らぎを感じてみたい方は、ご参加ください。

カテゴリー: 非二元・ノンデュアリティ

なぜ、男性は女性に惹かれ、女性は男性に惹かれるのか?

肉体とマインド(精神)は、二元性の世界にあるので、男か女かのどちらかでしかありえない。
男であって、同時に女であることはできない。

しかし、二元性を超越した非二元(スピリット)の次元では、私たちは何者でもなく、同時にあらゆるものであり、全てを分け隔てなく愛している。

ところが、肉体とマインドの次元では、私たちは、男か女かのどちらかでしかありえない。

だから、男は女を愛し、女は男を愛することで、非二元の全体性に戻ろうとしている。

追伸

本当の私とは何者なのか?

その本質に目覚めたい方は、非二元の個人セッションをお受けください。

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十字架が表している意味

横棒は、マインド(思考)の動きを表しています。左に右に、過去に未来に、イエスかノーかに行ったり来たりしながら、マインドは真理を求めて動き回ります。

しかし、どれだけ知識を得ても、真理には至れません。
探し求めている幸福はいつまでも訪れません。

横棒(マインド)の次元に幸福はないことがわかると、縦棒の扉が開きます。
横方向の動きは、リアリティに関する解釈、概念の世界に過ぎないことがわかると、リアリティ、真理への扉が開きます。

「私は何も知らない」
その謙虚さをもって、扉に飛び込めば、自由落下が起こります。

そこにはしがみつける概念は存在しません。
正解はありません。

過去も未来も消え、今があるだけ。
出会うものの全てが愛。

その愛の深みに落ちていくだけ。
まさに究極のフリーフォール。
その心地よさこそ、マインドが探し求めていた自由、幸福。

しかし、その歓びは横棒の動きの中をいくら探しても見つかりません。

追伸

縦の落下が起こる「歓迎の法則」セミナーは、6月19日に開催します。

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